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〜プロローグ〜 ユーラシア大陸とにっぽん


モンゴル・ゴビ砂漠と草原/撮影:契爺

アジアと日本人の関わりで、いつも脳裏に甦ることがある。もう30年近く前になるが、民族学の泰斗、梅棹忠夫博士の講演を聞いたことがあった。日本人はどこから来たか、なぜこの島国に住みはじめたかというお話である。日本人のルーツとか起源ではなく、誰がいつごろ日本列島に来て、われわれの社会と文化をつくり今日に至ったかという、おおいに興味をそそられた仮説だった。それによると、やがて日本人となる民族は、ユーラシア大陸で生活や社会を営むのに疲れ果て、大陸と決別してこの列島に逼塞したというのである。つまり、大陸に暮らすのが嫌になったというのだ。なぜか。

ユーラシア大陸は地球面積の37%(約5,500万Km2)を占め、全人口の6割が集中(2005年で37.2億人)してきた超大陸で、幾多の民族が長い歴史を紡いできた。その過程でメジャーな民族が形成され、他のグループを圧するようになる。人口からいって中国人といってよいのだが、この人たちとは付き合いきれないと感じたグループがあった。梅棹博士の言葉では、あたかも年増女に純な青年がなすところなく弄ばれるようなもので、人生を悲観したかキレたか、こんな大陸から逃れたいと決心したのだそうだ。航海技術がない時代だから、大陸と日本列島がつながっていた氷河期のどこかで起こったことだろう。最後の氷河期が終わったのが一万年前だから、そのあと日本列島は大陸から切り離されて海の中に孤立し、渡ってきたグループがいまの日本と日本人の根幹を創りあげ、縄文、弥生時代に至ったというのである。


撮影:NASA/Earth From Spaceより
中央アジアカザフスタンの草原とバルハシ湖を望む

人間の業が渦巻くユーラシア大陸に背を向け、大陸東端の辺境の地に逃げ出した、あるいは追い立てられたと考えるとやや情けない気がしないでもない。しかし悩んだ末にやむにやまれず、新世界をめざして前人未到の地に旅立つという勇気(無謀かも)ある行動に出たとも言える。ならば、そのまま大陸に留まっていたらどうなっただろうか。後世日本人となったグループは、少数民族としてどこかにひっそりと暮らすことを余儀なくされたに違いなかろうから、私などはよくぞ決心してくれたと感謝しているくらいだ。ともあれ、われわれの祖先は過酷な環境と民族の桎梏が支配していたユーラシアの地から解放されたのである。元祖にっぽん人は偉大なり。

現代のユーラシア大陸と辺縁の島嶼部アジアを旅して感じたことを綴ることとする。

第八回
島嶼部アジア -インドネシア-
里山で遭遇した愛すべき生きもの

第七回
モンゴルの夏

第六回
ガンジス河を下る(2)

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